11月27日付

ホーチミンにいる外国人たち。

外国人のおじさんおばさん、兄さん姉さん。
なんでこの人たちここにいるんだろう。

不思議だな。
35℃の青空の下、カフェに座りながらそういうことを思います。

人生はいろいろ。
世界のどこかで生まれて、そのうち世界のどこかで死ぬ。
そーなんだなぁ。

同僚のリーティカは「世界中のいろんな国で暮らしたい。いつかはインドに戻ると思うけど、それはまだずっと先。」と言った。彼女は去年1年をチェコで暮らして今年1年をベトナムで暮らして来年1年をまた別の国で暮らすつもりなのだそうだ。

以前の私だったら彼女に大賛成したと思う。昔の私は「世界中旅行したい」と思っていて「働きながら旅を続けたらどうかしらん」とか思っていたから。だけどそのうち「世界中を旅して旅して、そして何が残るんだろう」と思って虚しくなったから、旅人として人生を終えるのはやめようと決めた。

何が豊かな人生だろう。

いつか新卒採用の面接会場で誰かが「保険会社に就職が決まって、これで自分の人生が決まったと思ったら怖くなって、まだ就職活動を続けています。」と言った。わかるような、わからないような。事実としてはたったひとつ、1年後の勤め先が決まっただけなのに。でもその事実ひとつが、絶対的な力を以って人生のレールを敷くように思えたりするものだ。そして彼には敷かれたレールを何十年もかけて歩む自分が見えたんだろう。

何が豊かな人生だろう。

そんな事をとりとめもなく一生懸命考えられる私の人生には、まだレールが敷かれていないのかしらん。いつ敷かれるのかしらん。もう敷かれているのかしらん。

よくよく考えると人生の最後に自分が行き着く場所は大切じゃないのかもしれない。我が人生何たるかと問うて歩を進める行為そのものが人生というものかもしれない。そうかもしれない!いやそうじゃないかも知れない。

私はそういうことを思います。お母さんお誕生日おめでとう!