村上春樹のイスラエルでのスピーチ

「この人は、本当にすごい人だなぁ。」と村上春樹イスラエル文学賞受賞スピーチを知って思った。

結構ニュースになっているから知っている人も多いと思いますが、エルサレム文学賞の受賞スピーチで社会システムを壁に、個人を卵になぞらえて、「壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っていたとしても、自分は卵(個々人の尊厳)の側に私は立つ」と、今回のガザ空爆で命を落とした市民を擁護したわけです。

・普通、こういうのは受賞拒否して、他国で「ガザ空爆に反対する」云々と言うのがお決まりなのに、受賞して現地に行って、受賞スピーチで言う、という選択をしたこと
・具体的にガザ空爆に言及しているにも関わらず、誰の事も傷つけない(誰とも敵対しない)スピーチになっていること(しかもどこぞの政治家とは違って自分の立脚点を明確に示した鮮やかな語り口・・・)

上の2点について、本当に素晴らしいの一言です。
ふと、あぁintegrityっていうのはこういうことなのかな、と思いました。
integrityって、日本語だとたぶん高潔とか、なんか神々しくなっちゃう気がするのですが、そうじゃなくて村上さんの“身の丈以上の振る舞いはしない”という人柄が滲むスピーチで、親しみのある誠実さ、とでもいいましょうか、誰の心にも届く言葉だったと思います。

さてこのスピーチ、ネットでは反響を呼んでいるようです。
例えば「卵はイスラエル、壁はイスラム、イランの核開発も壁の一つだ」とか「社会システムからの賞を受賞している村上春樹、いけてない、この賞は賞金がつくんだっけ?」みたいな事とか。もちろん批判だけでなくたくさんの賞賛も。

村上春樹が挙げた比喩はあくまで「社会システムと個人」の対比であって、自分は常に個人の側につく、と言っているんだから、個人としてそのスピーチを聞く限りはパレスチナ人にもイスラエル人にも、誰にだって共感できると思うんだけど・・・、個人のアイデンティティが社会システム(国家、宗教、その他)に強く同調している場合は、このスピーチ、批判したくなるかもなぁ。

ともあれ、

社会システム 対 個人

・・・これは人間社会において存在し続けている構図であって、その中で個人を代弁し表現するのが作家という職業であって、村上春樹がとった行動は個人として作家として、誠実で勇気のある選択だったと私は思います。

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html
村上春樹: 常に卵の側に