朝鮮半島にはイムジン河が、京都には鴨川が

見よう見ようと思っていたが…でやっと『パッチギ!』を見た。
舞台は1968年の京都。府立東高校に通う松山康介(塩谷瞬)が朝鮮高校の番長の妹キョンジャ(沼尻エリカ)に恋をして物語は始まります。喧嘩に明け暮れるキョンジャの兄アンソン(高岡蒼佑)や、ヒッピーな酒屋の主人(オダギリジョー)、朝鮮人居住区に暮らす人々…それぞれが織りなす物語を、高校生の視点から爽やかに描き出す青春映画。

朝鮮半島の南北境界にはイムジン河が流れていて、京都の朝鮮人居住区との境界には鴨川が流れている。
これは分断と対立の中の物語なんですね。差別や祖国分断という難しく深刻になりがちな状況を背景にしながらも、あくまで高校生たちの青春物語として話が進むところが好きです。

この映画がいい映画だと思うのは、『在日問題』とか『南北問題』といわれて大層な響きと理屈を以って論じられている問題を、すべて人情で表現しているところ。人情、それが本質じゃないかな。在日の人たちが日本人高校生の主人公を迎え入れようとする気持ちと、その主人公を前に滲みでる日本への恨みつらみ、両方の感情が描かれています。

それで、ここからは映画の話ではないんだけど。

社会に受け入れられたいという思いと、不当に扱われた恨みや祖国への思い、あくまで朝鮮人であることにこだわり日本への同化を拒む思いというのは、実際に在日の人たちの中でも一緒くたに渦巻いて存在するんだろうと思います。割り切れない、それが人情なんだと思います。
そういう、バラバラの思いを抱えながら分別ある態度を貫いて生きていくことなんて、できるでしょうか。そう考えると、在日の人たちが時に攻撃的だったり屈折しているように思えたりしても、その部分だけを取り上げて問題視することは不適切だなぁと思います。
生まれたときからなんの矛盾も葛藤も持ち合わせず、ただ純粋な日本人として社会に居場所を与えられ暮らしてきた私には、彼らの苦しみを知ることはできないでしょう。ある問題についてバランスの取れた考え方ができたとしたら、それは単にその問題から遠くにいるせいかもしれません。
渦中に入れば入るほど、傷ついて悲しくて痛くて辛くて、怒りがこみ上げてくる。まるで、ハリネズミの寓話みたいに悲しい対立が、世の中にはたくさんあるんですね。
在日朝鮮人と日本人だけじゃなく、トルコ系移民とドイツ人も、イスラム系移民とイギリス人も、イスラエル人とパレスチナ人も、ツチ族フツ族も。
近づけば近づくほど傷つけあって痛くて辛くて…なんだかなぁそういうのって、どうしたら解決できるんでしょうか。解決して、みんな笑顔で暮らせたらいいのにな。
でも安易な道が残ってないのなら、どこまでも顔つき合わせて向かい合っていく、“パッチギ”こそが人情としてのこれら問題を解決する道(のひとつ)なんじゃないかと思った、ということで結ぼうと思います。