まぼろし

フランソワ・オゾンという監督の『まぼろし』という作品をご紹介。『8人の女たち』『スイミング・プール』、最新作では『僕を葬る』を撮った監督ですが、この監督の人間心理を描き出す実力はすんばらしい!です。
さらに主人公のマリーを演じるのは名優シャーロット・ランプリング(55歳!)。彼女の演技は兎にも角にも素晴らしい!刻々と形を変える心理、矛盾する言動…そういう女性の理不尽さを過不足なくリアルに演じることのできる彼女に、ほれぼれ。

物語のあらすじはこんな感じ。
ジャンとマリーは連れ添って25年になる50代の夫婦、バカンスには南仏ランド地方の別荘へに揃って出かける。今年もランドへやってきた2人だったが、マリーが浜辺でうたた寝する間に夫のジャンは失踪してしまう。
夫の行方がわからぬまま一人帰宅するが、日常に戻った彼女の傍らには夫がいて、夜はベッドで本を読み、朝は共に食卓を囲む。夫の失踪を受け入れず、まぼろしと暮らすマリー。しかし、夫の不在のために起こる些細なトラブル、ジャンを語るマリーに対する友人の微妙な反応…それらの現実が確実にマリーの願望を崩していく。

さてはてマリーの往く末やいかに…!?と、いうお話です。
マリーにとって、最愛の夫ジャンはなくてはならない存在。だからこそ、マリーはジャンが失踪した後も、彼のまぼろしに支えられて自我のバランスを保ち続けるんですね。
愛ゆえに、まぼろしを作り出す、愛ゆえ、愛ゆえに…さて、愛とは何でしょう?
そこが問題。現実である“ジャンの失踪”を認めずに、自分の安定に必要な“夫”をまぼろしで再現することは、実はジャンという人間に対する裏切りではないのでしょうか。そしてこの矛盾は、ストーリーの展開と共にマリーの前に露呈されていくのです。
物語も佳境に至り、自分が25年の結婚生活のうちに“夫”という肖像−まぼろし−を作り上げ過ごしてきた可能性に思い当たったとき、マリーは初めてジャンの真実の姿を求めます。が!んん〜、ラストシーン!

この映画は消失した夫を求める女性の内面の描写を通して、愛の真実を描いているように思います。愛におけるひとつの真実、それこそ“まぼろし”。。ってか。

(愛というのは間違いかも、愛ではなく結婚の真実かな?)
何十年という日常を純粋な愛だけで繋ぐことなど可能でしょうか。ほぼ不可能、だからこそ“夫”と“妻”という肖像‐まぼろし‐が必要とされるのでは。
…じゃあ結婚って、愛の延命措置なの変換装置なの?うーんそうかぁ、そうかも。えーでもそれが真実って、なんだ夢がないなー。なんて思ったあなた!それでも、結婚の結果しあわせに付き合っていける相手に出会えたら、幸運なんだと思いますょ!結婚のケの字もわからない私ですけど、なんだか、そんな映画でした。

長々と書きましたが、淡々と進むフランス映画です。
そういうの好き!っていう方ならオススメです。ぜひ〜。

http://www.eurospace.co.jp/detail.cgi?idreq=dtl1027651446(『まぼろし』の紹介)
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