時の間 - time -

「ずいぶん遠くまできたなぁ」って思う瞬間が、あります。
時を距離で感じるということはどういうことでしょう?
考えるとどうもそれは、過去のある点にいる私とその後のいろいろを経験した私、その2人の私の距離感かなと思います。どう考えても4年とか5年という時間そのものを距離で感じることはできなさそうだもの。
だとしたら、時間ってそもそもはひどく個々人に拠って立つものなんですね。もっと便宜的な、言葉みたいなものかと思ってたけど、ちがうのかも知れない。

そっか、そうすると『時の間』と書いて『時間』という日本語はすばらしい表現なんだ!おーおーひとり盛り上がり。『時の間』 んん、この“間”という漢字を“あいだ”と読むのか“ま”と読むのかでまたニュアンスが変わるけど、それもまたいいっすね。
フランクミュラーがインタビューで「もともとこの世には時間などない、それは人間が勝手に作ったものだ。私は時計技師だからそのことがよくわかる」って言ってましたが、『時間』っていう言葉は言葉自体がすでに「時間は人間が作ったもの」という概念を肯定しててカッコいいじゃーん!『時』と『時間』を使い分ける感性を持つ日本語って、なんて素敵な言語だろう。自画自賛

ふぅん、でも私たち、『時間』という言葉とばっかり付きあってるみたい。もうちょっと『時』も感じてみたい。

なんか「ずいぶん遠くまできたなぁ」のスタート地点から、思わぬ方向にいった日記になった。けどそんなことを思う、別れの春でした。