幸せな食卓

週末は実家に帰ってたのですがさっき戻ってきました。今回は久々の帰省、では全然ないんだけど…うちの妹が市主催の劇団に参加していて、その公演があるっていうので帰りました。

そこでわが安藤家ですが、本当に相変わらずばらばらに食事をする家で、しかも今回は朝ごはんにマクドナルドが出てきたりしててそれをばらばらに食べてる光景が結構可笑しかったので“幸せな食卓”について考えることにします。

我が家の食卓ですが、結構みんなばらばらに食べるの。大体、うちのパターンとしては朝は各人で食べることになってる。食パン、シリアル、チーズ、ハム、ジャム、ヨーグルト。あとは飲み物も牛乳とか豆乳とか野菜ジュースとかスポーツ飲料があるし、結構好きに食べれるんですね。朝は家族が入れ替わり立ち代りで食事をしてる感じです。んで昼はみんな職場や学校で食べるでしょ。夜は私と妹が小学校に通ってた頃は母と私たちは一緒に食べ始めて一緒に食べ終わるって感じだったけど、あとは部活があったり習い事があったり塾があったりしたから時間が合えば一緒に食べるようになったかなぁ。ちなみに、お父さんの夕食はいつも“チン”(苦笑

こう書くとあまりいい食事習慣を持たない家庭に育ってるのかなとも思えてくるのですが、どうでしょうか。たぶん悪いほうの食事習慣を持つ家庭に育ってるんだよね(笑
「食は文化だ」というし「食卓を通じて躾がなされる」ともいわれますよね。その言葉はその通りで、生まれた家庭の食卓が子供に与える影響って大きいなって思います。一人一人の都合優先のルールを持つ食卓に育った子供は、私のようになるわけです。
ただ、我が家の食卓が人さまにほめられるような規律を持っていない食卓であることがわかっていても、私は否定する気になれないんですね。「いーじゃんいーじゃん」って思っちゃう。そこがなんかすごいなって思うけど、やっぱり私っていう人間の根っこの部分がうちの食卓を肯定するように出来ちゃってるっていうことですよね。でももっと考えれば私が自分の家の食卓を肯定できるっていうことは、つまり家庭への肯定があって、両親への肯定があるっていうことかなと思います。

それで今回の結論ですが、全員で揃ってテレビを消して食べる食卓であれ、みんなの都合で一人一人がテレビ見ながら食べる食卓であれ、当事者である家族のみんなが「そんな我が家が好き」って肯定できる食卓を持っているのならそれが“幸せな食卓”なんだろうな、ということでしょうか。

だけど私も一人一人の都合を全体に合わせることを優先する食卓に育ったならもうちょっと規律正しい人間になってたのかな…(^^;